市街地を抜けて、アンコール・ワット遺跡に向かう途中に、ポルポト政権下で虐殺された人々を慰霊するための施設があります。

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左側の白い建物が、かつて収容所として使われていた施設で、この界隈からたくさんの人骨が発見されました。右側の建物が慰霊塔です。この地でも、1975年からの4年間に数千人の人々が虐殺されたといわれています。

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建物の中に入ることはできず、境内に何枚かのパネル写真が設置されていました。今日も、中国人と韓国人の団体客で境内は“賑わって”いたのですが、日本人の姿はありませんでした。

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ポル・ポト、ヌオン・チア、タ・モクなどが写った写真がありました。ポル・ポトに次ぐ第2の地位にあったヌオン・チア(左から2人目)は、終身刑を宣告されて、現在も服役中です。

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セイハーの両親は、60代前半ですが、こうやって強制労働に駆り出された記憶を時々語ってくれるそうですが、考えてみれば、わずか40数年前の話です。こういう写真に写っている人々の多くもまだ生きているか、あるいはあの頃にすでに殺されていたのです。

今の時代に生まれてラッキーだったと、30歳の青年にいわれて、私たちの感覚からはひどくズレているように感じて、それにまた心痛みました。

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かつては高等学校だったという、プノンペンのS21(シークレット21)が、ベトナム軍によって発見されたときの写真です。トゥール・スレン虐殺記念館として、当時のままに保存されています。

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傍らにこんな施設がありました。ここに限らず、日本の仏教界からの支援は多いようです。

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私がいま暮らしているシェムリアップという町は、かつて激しい戦闘がくりひろげられた地域で、近隣の村々はクメール・ルージュの支配下に置かれていました。至る所に大量の地雷が埋設され、アンコール・ワットは、世界のジャーナリストが一番乗りを目指した、まさに幻の王宮だったのです。

1992年にユネスコの世界文化遺産に登録されて以降、地雷の除去など、さまざまな“開発”がすすみ、今や年間200万人以上の観光客を迎え入れる、アジアのトップクラス観光都市となりました。

“貧しかった”カンボジアの人たちが、観光で豊かになってゆくのを応援したいと思うのと同時に、私たちが踏む大地の下にも、無残に踏みにじられた、ひとりひとりの人生と家族と夢と希望とが、今も呻吟しているのだということを、忘れないでおこうと思っています。