f:id:natsume2018:20181212192315j:plain

f:id:natsume2018:20181212190120j:plain

今回の高校生たちの旅の最後に訪れたのがトゥールスレン ジェノサイドミュージアムでした。

この博物館の展示を見てゆくことは、人としてとても辛いことなので、時には耐え難く、具合が悪くなってしまう人も出てくるようです。無理をしないように、ホテルから5分のところに宿をとって、“退避”するための部屋も用意しました。実際に、それほど凄惨な写真が多く、音声ガイドの中でもたびたび注意が喚起されます。博物館側は、過去に起こったことの事実を、しっかりと後世に伝えなければならない、というコンセプトに徹しているのだと思います。

f:id:natsume2018:20181212190328j:plain

ここはかつて高等学校の校舎でした。本来収容所に名前はなく、S21(シークレット21)という番号で呼ばれていましたが、後に、地名をとってトゥールスレンと呼ばれるようになったものです。

f:id:natsume2018:20181212190250j:plain

最初に訪れるのが尋問室棟。左手の写真は、1979年にベトナム軍によってこの施設が発見された時、記録として直後の状況が撮影されたものです。各部屋にそれぞれ1枚の写真が掲げてあります。

f:id:natsume2018:20181212190621j:plain

ベッドの上にあるのは排せつのための弾薬箱。この箱を開けるにはちょっとした技術が必要で、それを簡単に開けてしまうと、それだけで不審者の烙印が押されました。

f:id:natsume2018:20181212190650j:plain

クメール・ルージュが逃亡するときに、残っていた収容者はことごとく惨殺されて、屍は放置されました。その異臭によって、ここが発見されたそうです。その最後の名もなき14人の墓が、施設に入ってすぐの場所にあります。

f:id:natsume2018:20181212190729j:plain

f:id:natsume2018:20181212190811j:plain

f:id:natsume2018:20181212190840j:plain

f:id:natsume2018:20181212190907j:plain

f:id:natsume2018:20181212190929j:plain

f:id:natsume2018:20181212191001j:plain

館内に掲示された無数の無辜の民の絶望に彩られた顔写真と向き合うことは、この施設の中で、最も見る者の精神力を必要とすることではないかと思っています。すべての収容者は写真を撮られ、尋問を受け、その多くは拷問の苦しみから逃れるために、CIAのスパイである、ベトナムの指令であるという“自白書”に署名し、ようやく苦しみから解放された後にキリングフィールドに連行されて殺害されたのです。

彼らの眼差しに見つめられて部屋の中に立ち尽くすと、「人はなぜ人を殺すのか?」という根源的な問いに行き着かざるを得ません。

f:id:natsume2018:20181212191741j:plain

独房。たたみ1畳あるかないかの狭さです。

f:id:natsume2018:20181212191809j:plain

f:id:natsume2018:20181212191832j:plain

f:id:natsume2018:20181212191854j:plain

拷問の辛さに収容者が飛び降り自殺をはかるのを防止するために張られた鉄条網。

f:id:natsume2018:20181212191056j:plain

1975年、ロン・ノル政権が崩壊し、クメール・ルージュがプノンペンに入城した時、民衆は歓呼の声で彼らを迎え入れたのです。手を打って喜ぶ子どもたちの姿を見ると、ほんとうに胸が痛みます。

f:id:natsume2018:20181212192002j:plain

16000~20000人ほどが収容されていたようですが、現在確認されている生存者はわずか12名です。それぞれが手に技術を持っており、タイプライターが修理できる、建築技術がある、絵が描けるといった人たちでした。このうちの2人の生存者の方が、この日は施設の庭で、自らの経験を記した本を売っていました。

f:id:natsume2018:20181212192042j:plain

施設の中でも有名な、そしてもっとも私の心を打つ写真です。彼女はクメール・ルージュの若い幹部のひとりと恋仲で、膨大な量の尋問調書も残されています。後に彼女も、その恋人も別々の場所で殺害されました。

唇をきつく結んで前方をみつめる彼女の瞳に絶望は読み取れません。自分は生きて収容所を出られるという希望を持っていたのでしょうか?あるいは、彼女の揺るぎなきまでの冷徹なプライドを支えたのは、“愛の力”だったのかも知れません。