カンボジアにも鉄道はあります。以下はかなりの鉄道ファン向けの記事です。https://ja.wikipedia.org/wiki/カンボジアの鉄道

バッタンバンに鉄道が開通したというニュースは、ちょっと前に耳にしていました。ただ、カンボジアの鉄道は、今のところ 路線によっては 貨物輸送がメインのようで(もちろん人も乗れます)、市販のガイドブックに紹介が出ているとか、旅行社でチケットを扱っているという話をまだ聞いたことがありません。

今回ゲストハウスに行くときに線路を越えたので、きっと駅は近いだろうとフロントで聞いてみると歩いて30分くらいとのこと。ひとりで出かけました。

なんともひっそりと、むしろ寂れたような佇まいのこれが、バッタンバンステーションです。数人の人影が写っていますが、これは乗客ではなく、若者たちがバクチやってました。まあ、100リエル(3円程度)とか500リエルで遊んでましたが。

それもそのはず、この小さなホワイトボードがタイムテーブルで、どうやらプノンペンから夜行列車が入ってくるのと、ポイペト(タイとの国境の町)へ行く列車が1本通るだけのようです。

ということで、ホームに車両は入っていませんでしたが、線路わきにこんなに錆びついた、年代物の貨車が放置されていました。少なくとも数十年は経っている感じがします。それで私はフト気になることがあって、ホテルの部屋に戻ってから、「バッタンバン日本軍」と打ち込んでみたのです。

私の予想は中っていました。あの当時はバッタンバンもシェムリアップもタイの領土だったので、泰緬鉄道に関連するものがあるのではないかと、錆びついた車両を見て思いついたのです。

泰緬鉄道の工事が始まったのは1942年ですが、43年3月の資料で、バッタンバンには、日本軍憲兵と警備隊30人が駐屯していたという、横浜国大の研究者の記事を見つけました。サイゴンからプノンペンを経て、バッタンバンを通り、バンコクにまで至る鉄道がすでに敷かれていたことになります。そして泰緬鉄道の建設に必要な資材や食糧や、時に‶ロームシャ″がバッタンバンを経由して現場まで輸送されていたことが書かれていました。あの錆びついた貨物車両がいつ頃のものかはわかりませんが、当時使われていた車両である可能性も否定できません。

そして、バッタンバンからは、大量の米が輸送されたとも書いてありました。バッタンバン州はカンボジアでも有数の穀倉地帯といわれています。国道の両側に拡がる、雨に濡れた濃い緑の田んぼの美しさは、まさにしみじみ心に染みいる風景で、人の生業の原点を保障するようにも感じました。

‶死の鉄道″と呼ばれた泰緬鉄道の建設にたずさわった連合軍捕虜、ロームシャたち、そして日本軍兵士の飢えをわずかに満たしたのがバッタンバンの米だったとは……。中国や東南アジアを旅していると、時にいやおうなく歴史と対面せざるを得ないシーンに出会わせ、心が騒いだり、疼いたりするものです。