コンポンプルック村のお宅でお昼を食べたのですが、ちょうどその日、すぐお隣の家で葬儀があったのです。こちらでは一般的には3日間行われるので、その最後の日でした。村のお寺に設営されたこの塔の中段の位置で荼毘(だび)にふされます。

私はおととしまで長く中国黄土高原にいて、ひたすら葬儀の写真とビデオを撮ってきたのですが、日本であれば、赤の他人の葬儀にレンズを向けること自体、不謹慎で礼儀知らずということになりますが、実は中国にいたときは、しょっちゅう頼まれてカメラを回していました。ビデオに収めて、長く残しておきたいという思いからです。そして、派手で立派な葬儀をして、ひとりでも多くの人を呼ぶのが、残された遺族たちの務めであり、見栄でもあったのです。

ただし、公開の葬儀をやるのは、天寿をまっとうした人だけで、遺族が嘆き悲しまなければならないような死の場合、葬儀はなしか、あるいはほんとうに地味で、もちろんそういう時には私も遠慮していました。

さて、カンボジアではどうかというと、中国ほどオープンではないけれど、日本みたいに閉鎖的ではなく、今回、写真を撮ってもいいかと聞くと、すぐにOKの返事がもらえました。故人は80歳くらいの男性でした。

これが葬送に使われる車、いわば霊柩車です。右端奥に見える金色の建物がお寺です。坊主頭の男性は故人の息子さん。このおじいちゃんには、6人の息子がいたそうです。

これはおそらく僧侶が乗って、霊柩車を先導するものだと思います。この坊やは故人のお孫さんです。

お供え。

葬送の時に撒かれるもの。100リエル(≒3円)札と白いものは綿です。右端の黄色い紙は、お金の形に折ったもので、中国と同じ折り方です。中国文化の影響なんでしょうか?

学校の制服を着た子どもたちが、蓮の蕾と線香を持って葬列の前に並びました。なんだかもらい泣きしてしまいそうな光景がこれで、ご主人を亡くしたワンコが、寂しそうにずーーと座り込んで動かないのです。荼毘の塔までついてゆくつもりでしょうか?

私は最後まで見届けたかったのですが、お客さんが戻らなければならない時間になったので、残念ながら葬列そのものは見られませんでした。80年の生涯を、おそらくはほとんどトンレサップの水の上で暮らし続けたおじいちゃん。あの内戦の時代をかろうじて生き抜いた彼の脳裏には、いったいどんな記憶が刻まれたままだったのでしょうか?